<世界とは別の形に発展した日本のラリー>
 長い間、日本国内ではいわゆる「アベレージラリー」というものが行われてきました。このラリー形式は、日本独自のもので、世界中どこの国にもありません。
戦後ヨーロッパから伝わってきたラリーは、TC(タイムコントロール)ラリーでしたが、これはTCから次のTCまでを決められた時間で走る形式でした。区間によっては余裕を持って走れるところもありますが、厳しい時間設定のTC間では、長い距離をハイスピードで走り続けなければなりません。狭い日本の国土で、また徐々に自動車の保有台数も増えてくると、この形式、つまり「TCラリー」を行うことが無理になってきました。そこで当時のラリースト達が日本でラリーを続けるために考え出したのが、「アベレージラリー」だったのです。
現在、国内でラリーをしている人達のほとんどは、「アベレージラリー」とそれにいくつかのスペシャルステージが追加された形の競技を「ラリー」として経験してきたと思います。しかし、これは同じ「ラリー」という名前で呼ばれていても、世界各国で行われているものとはかなりかけ離れたルールになってしまっていると言えるでしょう。

<国際化への流れ>
1980年代からは、海外のラリーにも日本人がプライベ-トで数多く出場するようになりました。ラリーニュージーランドに日本人クルーが10数台も出場した年もあったほどです。しかし、そんな中でも日本のラリー形式はなかなか変わりませんでした。
変化の兆しが現れたのは90年代も後半になってからのことです。国内ラリーの最高峰・全日本ラリー選手権では、世界と同じルールのもとでラリーをしようという試みが早くからなされていましたが、その努力がやっと実を結び始めたのです。
そして、この流れをさらに確実なものにしていこうと、2000年に創設されたのがJRCAです。JRCA会員の全日本ラリー選手権主催者・出場者・関連企業の協力のもとに、2001年の全日本ラリー四駆部門シリーズでは、国際ラリーにより近いルールが各イベントの特別規則に組み入れられ、国際ラリーと同様のツール(タイムカードコントロール標識など)が取り入れられるようになりました。
また同じ2001年には「日本アルペンラリー」が、日本の地で初めての国際ラリーとして開催されました。同年、国内で2回目の国際ラリーとなる「ラリー北海道」も開催され、さらにこのラリーは翌年にはアジアパシフィックラリー選手権として数多くの外国人選手を迎えました。
 このような出来事を背景に、JAFではFIA【※1】(世界自動車連盟)の国際ラリー規則をもとに、WRC(世界ラリー選手権)などと同様の形式のスペシャルステージ主体のラリーを規定する新しい規則が検討され、2002年10月に「ラリー競技会組織に関する規定第6条」として公示されました。これが、いわゆる「スペシャルステージラリー」を国内競技規則として初めて規定するものになったのです。そして、現在では「ラリー競技開催規定」として、「アベレージラリー」「スペシャルステージラリー」それぞれがさらに明確に分かれ、諸規定が制定されています。

※1:www.fia.com/homepage/selection-a.html


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